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ヒッチハイク

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今から7年ほど前の話になる。

俺は大学を卒業したが、就職も決まっていない有様だった。

生来、追い詰められないと動かないタイプで、

「まぁ何とかなるだろう」

とバイトを続けていた。

そんなその年の真夏、悪友のカズヤと家でダラダラ話していると、

「ヒッチハイクで日本を横断しよう」

と言う話になった。

ここで、この悪友の紹介を簡単に済ませたいと思う。

カズヤは俺と同じ大学で、入学の時期に知り合った。

とんでもない女好きで、頭と下半身は別という典型的なヤツだ。

だが、根は底抜けに明るく裏表も無い男なので、女関係でトラブルは抱えても、男友達は多かった。

そんな中でも、カズヤは俺と1番ウマが合った。

そこまで明朗快活ではない俺とは、ほぼ正反対の性格なのだが。

ヒッチハイクの計画の話に戻そう。

計画と行っても杜撰なものだ。

まず北海道まで空路で行き、そこからヒッチハイクで地元の九州に戻ってくる、と言う計画だ。

カズヤは「通った地方の、最低でも1人の女と合体する!」と言っており、女好きならではの下世話な目的もあったようだ。

俺もそういう期待はしていた。

カズヤは長髪を後ろで束ねたバーテン風の優男で、コイツとナンパに行くと、良い思いをした事があったからだ。

そんなこんなで、バイトの長期休暇申請や、北海道までの航空券、巨大なリュックに詰めた着替え、現金などを用意し、計画から3週間後には、俺達は機上にいた。

札幌に到着し、昼食を済ませて市内を散策した。

慣れない飛行機に乗ったせいか、俺は疲れのせいで夕方にはホテルに戻り、カズヤは夜の街に消えていった。

その日はカズヤは帰ってこず、翌朝ホテルのロビーで再会した。

指でOKマークを作り、にやついている。

どうやら、ナンパした女と上手く行ったようだ。

さぁ、いよいよヒッチハイクの始まりだ。

ヒッチハイクなど初めての体験で、さすがにウキウキしていた。

しかし、そう止まってくれるものではない。

開始から1時間半後、ようやく最初の車が止まってくれた。

同じ市内までだったが、南下するので距離を稼げた。距離が短くても嬉しいものだ。

夜の方が止まってくれやすいのでは?という想像は、意外にも当たりだった。

1番多かったのが、長距離トラックだ。

距離も稼げるし、まず悪い人はいない。かなり効率が良かった。

3日目にもなると、俺達は慣れたもので、長距離トラックのお兄さん用にはタバコ等、普通車の一般人には飴玉等のお土産をコンビニで買っていた。

特にタバコは喜ばれた。

普通車に乗った時も、喋り好きなカズヤのおかげで、常に車内は笑いに満ちていた。

女の子2〜3人組の車もあり、良い思いも何度かしたものだった。

4日目には本州に到達した。

コツがつかめてきた俺達は、その土地の名物に舌鼓を打ったり、一期一会の出会いを楽しんだりと、余裕も出てきていた。

ご好意でドライバーの家に泊めてもらう事もあった。

しかし、生涯トラウマになる恐怖が、出発から約2週間後、甲信地方の山深い田舎で起こったのだった。

その日の夜は、2時間前に寂れた国道沿いのコンビニで降ろしてもらって以降、中々車が止まらず、それに加えてあまりの蒸し暑さに、俺達はグロッキー状態だった。

「こんな田舎のコンビニに降ろされたんじゃ、

たまったもんじゃないよな。これならさっきの人の家に、無理言って泊めてもらえば良かったかなぁ?」

先ほどのドライバーは、ここから車で10分程行った所に家があるらしい。

しかし、どの家か分かるはずもなく、言っても仕方の無い事だった。

俺たちは30分交代で、車に手を上げるヤツ、コンビニで涼むヤツ、に別れることにした。

コンビニの店長に事情を説明したら、

「頑張ってね。最悪、どうしても立ち往生したら、俺が市内まで送ってやるよ」

と言ってくれた。

こういう、田舎の暖かい人の心は実に嬉しい。

深夜1時半を過ぎ、カズヤも店長と意気投合して、いよいよ店長の行為に甘えるか、と思っていたその時、1台のキャンピングカーがコンビニに停車した。

これが、あの忘れえぬ悪夢の始まりだった。

運転席が開き、60代くらいと思われる男性が入店してきた。

カウボーイがかぶるようなツバ広の帽子にスーツ姿という奇妙な服装だった。

俺は丁度コンビニの中に居り、何ともなく男性の様子を見ていた。

買い物籠にやたらと大量の絆創膏などと、コーラの1.5Lペットボトルを2本も投げ入れていた。

会計をしている間、男性はこちらをじっと凝視している。何となく気持ちが悪かったので、無視して本を読んでいた。

やがて男性は店を出た。

そろそろ交代の時間なので、カズヤの所に行こうとすると、駐車場でカズヤが男と話をしていた。

「おい、乗せてくれるってよ!」

どうやらそういう事らしい。

俺は当初、男に何か気持ち悪さは感じていたのだが、間近で見ると人の良さそうな普通のおじさんに思えた。

俺は疲労や眠気の為にほとんど思考が出来ず、「はは~ん。アウトドア派(キャンピングカー)だから、ああいう帽子か」と、良く分からない納得をしていた。

キャンピングカーに乗り込んだ瞬間、しまったと思った。

おかしい。

何がと言われても、おかしいからおかしい、としか言いようがない。

ドライバーは先程の男性だ。助手席には70代くらいの女性が座っている。ドライバーの妻なのだろう。それと40過ぎの双子の息子が座っていた。

双子は

  • まったく同じギンガムチェックのシャツ
  • 同じスラックス
  • 同じ靴
  • 同じ髪型(頭頂ハゲ)
  • 同じ姿勢で座る
  • 同じ顔

の中年のオッサンだった。

いや、別にこういう双子が居てもおかしくはない。

おかしくもないし悪くもないのだが、言葉に言い表せない異様な雰囲気をまとっていた。

「早く座って」

俺たちは言われるがまま、車内に腰を下ろした。

母が助手席で前を見て座っている時は良く分からなかったが、母も異様だった。

ウェディングドレスのような真っ白なサマーワンピース。

顔のメイクは、バカ殿かと見まがうほどの白粉ベタ塗り。

極めつけは名前で、『聖(セント)ジョセフィーヌ』。

ちなみに父は、『聖(セント)ジョージ』という。

双子にも言葉を失った。『赤』と『青』というのだ。

赤ら顔のオッサンは『赤』で、ほっぺたに青痣があるオッサンは『青』。

俺達はこの時点で目配せをし、適当な所で早く降ろしてもらう決意をしていた。

狂っている。

俺達には主に父と母が話しかけて来て、気もそぞろに適当な答えをしていた。

双子は一切喋らず、まったく同じ姿勢、まったく同じペースでコーラのペットボトルをラッパ飲み。

ゲップまで同じタイミングで出された時は背筋が凍った。

発車して15分も経たないうちに、カズヤが口を開いた。

「あの、ありがとうございます。もうここらで結構ですので……」

しかし、父はしきりに俺達を引きとめ、母は「熊が出るから!今日と明日は!」と、意味不明な事を言っていた。

本当にもう結構です、としきりに訴えかけたが、せめて晩餐を食べていけ、と言って降ろしてくれない。

夜中の2時にもなろうかという時に、晩餐も無いだろうと思うのだが……

双子のオッサン達は相変わらず無口で、棒つきのペロペロキャンディを舐めている。

「これ、マジでヤバイだろ」

カズヤが小声で囁いてきた。

俺は相槌を打った。

しきりに父と母が話しかけてくるので中々話せない。

1度父の言葉が聞こえなかった時など、「聞こえたか!!」とえらい剣幕で怒鳴られた。

キャンピングカーが国道を逸れて山道に入ろうとしたため、俺達は立ち上がり、運転席に駆け寄って言った。

「すみません、本当にここで。ありがとうございました」

しかし「晩餐の用意が出来ているから」と言って聞こうとしない。

俺達は小声で話し合った。いざとなったら逃げるぞ、と。

流石に走行中は危ないので、車が止まったら逃げよう、と。

やがてキャンピングカーは山道を30分ほど走り、小川がある開けた場所に停車した。

「着いたぞ」

その時、キャンピングカーの1番後部のドアから、「キャッキャッ」と、子供のような笑い声が聞こえた。

まだ誰かが乗っていたか!? その事に心底ゾッとした。

「マモルもお腹すいたよねー」

マモル。家族の中では、唯一マシな名前だ。

幼い子供なのだろうか。

今まで無口だった双子のオッサン達が口をそろえて、ハモりながら叫んだ。

「マモルは出したら、だぁ・あぁ・めぇ!!」

「そうね、マモルはお体が弱いからねー」

「あーっはっはっはっ!!」

「ヤバイ、こいつらヤバイ。フルスロットル※」

※ フルスロットル:カズヤは、イッてるヤツや危ないヤツを、常日頃からそういう隠語で呼んでいた

俺達は車の外に降りた。

良く見ると、男が川の傍で焚き火をしている。

……まだ仲間がいたのか。

異様に背が高くゴツい。2m近くはあるだろうか。

テンガロンハットの様な帽子をかぶり、スーツと言う異様な出で立ちだ。

帽子を目深に被っており、表情が一切見えない。

ミッ○ーマ○スのマーチの口笛を吹きながら、大型のナイフで何かを解体していた。

イノシシか野犬か。

どっちにしろ、そんなモノを食わさせるのは御免だった。

俺達は逃げ出す算段をしていたが、予想外の大男の出現と大型のナイフに、すっかり萎縮してしまった。

「さぁさ、席に着こうか!」

大男がナイフを置き、傍でグツグツ煮えている鍋に味付けをしている。

「あの、しょんべんしてきます」

逃げようと言う事だろう。俺も行く事にした。

「早くね~」

森に入って逃げようとしたその時、キャンピングカーの後部の窓に、異様におでこが突出し、両目の位置が異様に低く、両手もパンパンに膨れ上がった容姿をしたモノが、バン!と顔と両手を貼り付けて叫んだ。

「マーマ!!」

もはや限界だった。脱兎の如く森へと逃げ込んだ。

後方で何か叫んでいたが、気にする余裕などなかった。

「ヤバイヤバイヤバイ」

カズヤは呟きながら、森の中を走っている。

お互い何度も転んだ。

「とにかく下って県道に出よう」

小さなペンライト片手に、がむしゃらに森を下へ下へと走っていった。

考えが甘かった。

小川のあった広場からも、

町の明かりは近くに見えた気がしたのだが、

1時間ほど激走しても、

一向に明かりが見えてこない。

完全に道に迷ったのだ。

心臓と手足が根をあげ、

俺達はその場にへたり込んだ。

「あのホラー一家、追ってくると思うか?」

とカズヤ。

「俺達を食うわけでもなしに、

そこは追ってこないだろ。映画じゃあるまいし。

ただの少しおかしい変人一家だろう。

最後に見たヤツは、ちょっとチビりそうになったけど…」

「荷物…どうするか」

「幸い、金と携帯は身につけてたしな…

服は、残念だけど諦めるか」

「マジハンパねぇ」

「はははw」

俺達は精神も極限状態にあったのか、

なぜかおかしさがこみ上げてきた。

ひとしきり爆笑した後、

森独特のむせ返る様な濃い匂いと、

周囲が一切見えない暗闇に、現実に戻された。

変態一家から逃げたのは良いが、

ここで遭難しては話にならない。

樹海じゃあるまいし、

まず遭難はしないだろうが、

万が一の事も頭に思い浮かんだ。

「朝まで待った方が良くないか?

さっきのババァじゃないけど、

熊まではいかなくとも、野犬とかいたらな…」

俺は一刻も早く下りたかったが、

真っ暗闇の中をがむしゃらに進んで、

さっきの川原に戻っても恐ろしいので、

腰を下ろせそうな倒れた古木に座り、休憩する事にした。

一時は、お互いあーだこーだと喋っていたが、

極端なストレスと疲労の為か、

お互いにうつらうつらと意識が飛ぶようになってきた。

ハッと目が覚めた。

反射的に携帯を見る。

午前4時。

辺りはうっすらと明るくなって来ている。

横を見ると、カズヤがいない。

一瞬パニックになったら、

俺の真後ろにカズヤは立っていた。

「何やってるんだ?」

と聞く。

「起きたか…聞こえないか?」

と、木の棒を持って何かを警戒している様子だった。

「何が…」

「シッ」

かすかに遠くの方で音が聞こえた。

口笛だった。

ミッ○ーマ○スのマーチの。

CDにも吹き込んでも良いくらいの、

良く通る美音だ。

しかし、俺達にとっては、

恐怖の音以外の何物でもなかった。

「あの大男の…」

「だよな」

「探してるんだよ、俺らを!!」

再び俺たちは、

猛ダッシュで森の中へと駆け始めた。

辺りがやや明るくなったせいか、

以前よりは周囲が良く見える。

躓いて転ぶ心配が減ったせいか、

かなりの猛スピードで走った。

20分くらい走っただろうか。

少し開けた場所に出た。

今は使われていない駐車場の様だった。

街の景色が、

木々越しにうっすらと見える。

大分下ってこれたのだろうか。

「腹が痛い」

とカズヤが言い出した。

我慢が出来ないらしい。

古びた駐車場の隅に、

古びたトイレがあった。

俺も多少もよおしてはいたのだが、

大男がいつ追いついてくるかもしれないのに、

個室に入る気にはなれなかった。

俺がトイレの外で目を光らせている隙に、

カズヤが個室で用を足し始めた。

「紙はあるけどよ~

ガピガピで、蚊とか張り付いてるよ…

うぇっ。無いよりマシだけどよ~」

カズヤは文句を垂れながら、

糞も垂れ始めた。

「なぁ…誰か泣いてるよな?」

と、個室の中から大声でカズヤが言い出した。

「は?」

「いや、隣の女子トイレだと思うんだが…

女の子が泣いてねぇか?」

カズヤに言われて初めて気がつき、

聴こえた。

確かに、女子トイレの中から女の泣き声がする…

カズヤも俺も黙り込んだ。

誰かが女子トイレに入っているのか?

何故、泣いているのか?

「なぁ…お前確認してくれよ。

段々泣き声酷くなってるだろ…」

正直、気味が悪かった。

しかし、こんな山奥で女の子が、

寂れたトイレの個室で1人泣いているのであれば、

何か大事があったに違いない。

俺は意を決して女子トイレに入り、

泣き声のする個室に向かい声をかけた。

「すみません…どうかしましたか?」

返事はなく、

まだ泣き声だけが聴こえる。

「体調でも悪いんですか、

すみません、大丈夫ですか」

泣き声が激しくなるばかりで、

一向にこちらの問いかけに返事が帰ってこない。

その時、駐車場の上に続く道から車の音がした。

「出ろ!!」

俺は確信とも言える嫌な予感に襲われ、

女子トイレを飛び出し、

カズヤの個室のドアを叩いた。

「何だよ」

「車の音がする、

万が一の事もあるから早く出ろ!!」

「わ、分かった」

数秒経って、

青ざめた顔でカズヤがジーンズを履きながら出てきた。

と同時に、

駐車場に下ってくるキャンピングカーが見えた。

「最悪だ…」

今森を下る方に飛び出たら、

確実にあの変態一家の視界に入る。

選択肢は、

唯一死角になっているトイレの裏側に隠れる事しかなかった。

女の子を気遣っている余裕は消え、

俺達はトイレを出て裏側で息を殺してジッとしていた。

頼む、止まるなよ。

そのまま行けよ、そのまま…

「オイオイオイオイオイ、見つかったのか?」

カズヤが早口で呟いた。

キャンピングカーのエンジン音が駐車場で止まったのだ。

ドアを開ける音が聞こえ、

トイレに向かって来る足音が聴こえ始めた。

このトイレの裏側はすぐ5m程の崖になっており、

足場は俺達が立つのがやっとだった。

よほど何かがなければ、

裏側まで見に来る事はないはずだ。

もし俺達に気づいて近いづいて来ているのであれば、

最悪の場合、崖を飛び降りる覚悟だった。

飛び降りても怪我はしない程度の崖であり、

やれない事はない。

用を足しに来ただけであってくれ、頼む…

俺達は祈るしかなかった。

しかし、一向に女の子の泣き声が止まらない。

あの子が変態一家にどうにかされるのではないか?

それが気が気でならなかった。

男子トイレに誰かが入ってきた。

声の様子からすると父だ。

「やぁ、気持ちが良いな。

ハ~レルヤ!!ハ~レルヤ!!」

と、どうやら小の方をしている様子だった。

その後すぐに、

個室に入る音と足音が複数聞こえた。

双子のオッサンだろうか。

最早、女の子の存在は完全にバレているはずだった。

女子トイレに入った母の、

「紙が無い!」

と言う声も聴こえた。

女の子はまだ泣きじゃくっている。

やがて父も双子のオッサン達(恐らく)も、

トイレを出て行った様子だった。

おかしい。

女の子に対しての、変態一家の対応が無い。

やがて母も出て行って、

変態一家の話し声が遠くになっていった。

気づかないわけがない。

現に女の子はまだ泣きじゃくっているのだ。

俺とカズヤが怪訝な顔をしていると、

父の声が聞こえた。

「~を待つ、もうすぐ来るから」

と言っていた。

何を待つのかは聞き取れなかった。

どうやら双子のオッサンたちが、

グズッている様子だった。

やがて平手打ちの様な男が聴こえ、

恐らく双子のオッサンの泣き声が聴こえてきた。

悪夢だった。

楽しかったはずのヒッチハイクの旅が、

なぜこんな事に…

今まではあまりの突飛な展開に怯えるだけだったが、

急にあの変態一家に対して怒りがこみ上げて来た。

「あのキャンピングカーをブンどって、

山を降りる手もあるな。

あのジジィどもをブン殴ってでも。

大男がいない今がチャンスじゃないのか?

待ってるって、大男の事じゃないのか?」

カズヤが小声で言った。

しかし、俺は向こうが俺達に気がついてない以上、

このまま隠れて、

奴らが通り過ぎるのを待つほうが得策に思えた。

女の子の事も気になる。

奴らが去ったら、

ドアを開けてでも確かめるつもりだった。

その旨をカズヤに伝えると、

しぶしぶ頷いた。

それから15分程経った時。

「~ちゃん来たよ~!(聞き取れない)」

母の声がした。

待っていた主が駐車場に到着したらしい。

何やら談笑している声が聞こえるが、

良く聞き取れない。

再びトイレに向かってくる足音が聴こえて来た。

ミッ○ーマ○スのマーチの口笛。

アイツだ!!

軽快に口笛を吹きながら、

大男が小を足しているらしい。

女子トイレの女の子の泣き声が一段と激しくなった。

何故だ?何故気づかない?

やがて泣き叫ぶ声が断末魔の様な絶叫に変わり、

フッと消えた。

何かされたのか?見つかったのか!?

しかし、大男は男子トイレにいるし、

他の家族が女子トイレに入った形跡も無い。

やがて、口笛と共に大男がトイレを出て行った。

女の子がトイレから連れ出されてはしないか、と心配になり、

危険を顧みずに、一瞬だけトイレの裏手から俺が顔を覗かせた。

テンガロンハットにスーツ姿の、

大男の歩く背中が見える。

「ここだったよなぁぁぁぁぁぁぁァァ!!」

ふいに大男が叫んだ。

俺は頭を引っ込めた。

ついに見つかったか!?

カズヤは木の棒を強く握り締めている。

「そうだそうだ!!」

「罪深かったよね!!」

と父と母。

双子のオッサンの笑い声。

「泣き叫んだよなァァァァァァァァ!!」

と大男。

「うんうん!!」

「泣いた泣いた!!悔い改めた!!ハレルヤ!!」

と父と母。

双子のオッサンの笑い声。

何を言っているのか?

どうやら、俺達の事ではないらしいが…

やがて、

キャンピングカーのエンジン音が聴こえ、

車は去ってった。

辺りはもう完全に明るくなっていた。

変態一家が去ったのを完全に確認して、

俺は女子トイレに飛び込んだ。

全ての個室を開けたが、誰もいない。

鍵も全て壊れていた。

そんな馬鹿な…

後から女子トイレに入ってきたカズヤが、

俺の肩を叩いて呟いた。

「なぁ、お前も途中から薄々は気がついてたんだろ?

女の子なんて、最初からいなかったんだよ」

2人して幻聴を聴いたとでも言うのだろうか。

確かに、

あの変態一家の女の子に対する反応が一切無かった事を考えると、

それも頷けるのではあるが…

しかし、あんなに鮮明に聴こえる幻聴などあるのだろうか…

駐車場から上りと下りに続く車道があり、

そこを下れば確実に国道に出るはずだ。

しかし、

再び奴らのキャンピングカーに遭遇する危険性もあるので、

あえて森を突っ切る事にした。

街はそんなに遠くない程度に見えているし、

周囲も明るいので、まず迷う可能性も少ない。

俺達は無言のまま森を歩いた。

約2時間後、

無事に国道に出る事が出来た。

しかし、着替えもない、荷物もない。

頭に思い浮かんだのは、

あの親切なコンビニの店長だった。

国道は都会並みではないが、

朝になり交通量が増えてきている。

あんな目にあって、

再びヒッチハイクするのは度胸がいったが、

何とかトラックに乗せて貰える事になった。

ドライバーは、

俺達の汚れた姿に当初困惑していたが、

事情を話すと快く乗せてくれた。

事情と言っても、

俺達が体験した事をそのまま話してもどうか、と思ったので、

キャンプ中に山の中で迷った、と言う事にしておいた。

運転手も、

そのコンビニなら知っているし、

良く寄るらしかった。

約1時間後、

俺達は例の店長のいるコンビニに到着した。

店長はキャンピングカーの件を知っているので、

そのまま俺達が酷い目にあった事を話したのだが、

話してる最中に、店長は怪訝な顔をし始めた。

「え?キャンピングカー?

いや、俺はさぁ、君達があの時、

急に店を出て国道沿いを歩いて行くので、止めたんだよ。

俺に気を使って、送ってもらうのが悪いので、

歩いていったのかな、と。

10mくらい追って行って、こっちが話しかけても、

君らがあんまり無視するもんだから、

こっちも正直、気ィ悪くしちゃってさ。

どうしたのさ?(笑)」

…どういう事なのか。

俺達は確かに、

あのキャンピングカーがコンビニに止まり、

レジで会計も済ませているのを見ている。

会計したのは店長だ。

もう1人のバイトの子もいたが、

あがったのか今はいない様だった。

店長もグルか??

不安が胸を過ぎった。

カズヤと目を見合わせる。

「すみません、ちょっとトイレに」

とカズヤが言い、

俺をトイレに連れ込む。

「どう思う?」

と俺。

「店長がウソを言ってるとも思えんが、

万が一あいつらの関連者としたら、って事だろ?

でも、何でそんな手の込んだ事する必要がある?

みんなイカレてるとでも?

まぁ、釈然とはしないよな。

じゃあ、こうしよう。

大事をとって、

さっきの運ちゃんに乗せてもらわないか?」

それが1番良い方法に思えた。

俺達の意見がまとまり、

トイレを出ようとしたその瞬間、

個室のトイレから水を流す音と共に、

あのミッ○ーマ○スのマーチの口笛が聞こえてきた。

周囲の明るさも手伝ってか、

恐怖よりまず怒りがこみ上げて来た。

それはカズヤも同じだった様だ。

「開けろオラァ!!」

とガンガンドアを叩くカズヤ。

ドアが開く。

「な…なんすか!?」

制服を着た地元の高校生だった。

「イヤ…ごめんごめん、ははは…」

と苦笑するカズヤ。

幸い、この騒ぎはトイレの外まで聞こえてはいない様子だった。

男子高校生に侘びを入れて、

俺達は店長と談笑するドライバーの所へ戻った。

「店長さんに迷惑かけてもアレだし、

お兄さん、街までお願いできませんかねっ。

これで!」

と、ドライバーが吸っていた銘柄のタバコを1カートン、

レジに置くカズヤ。

交渉成立だった。

例の変態一家の件で、

警察に行こうとはさらさら思わなかった。

あまりにも現実離れし過ぎており、

俺達も早く忘れたかった。

リュックに詰めた服が心残りではあったが…

ドライバーのトラックが、

市街に向かうのも幸運だった。

タバコの贈り物で、

終始上機嫌で運転してくれた。

いつの間にか、

俺達は車内で寝ていた。

ふと目が覚めると、

ドライブインにトラックが停車していた。

ドライバーが焼きソバを3人分買ってきてくれて、

車内で食べた。

車が走り出すと、

カズヤは再び眠りに落ちた。

俺は眠れずに、窓の外を見ながら、

あの悪夢の様な出来事を思い返していた。

一体あいつらは何だったのか。

トイレの女の子の泣き声は…

「あっ!!」

思案が吹き飛び、

俺は思わず声を上げていた。

「どうした?」

とドライバーのお兄さん。

「止めて下さい!!」

「は?」

「すみません、すぐ済みます!!」

「まさかここで降りるのか?

まだ市街は先だぞ」

と、しぶしぶトラックを止めてくれた。

この問答でカズヤも起きたらしい。

「どうした?」

「あれ見ろ」

俺の指差した方を見て、

カズヤが絶句した。

朽ち果てたドライブインに、

あのキャンピングカーが止まっていた。

間違いない。

色合い、形、フロントに描かれた十字架…

しかし、何かがおかしかった。

車体が、何十年も経った様にボロボロに朽ち果てており、

全てのタイヤがパンクし、窓ガラスも全て割れていた。

「すみません、5分で戻ります、5分だけ時間下さい」

とドライバーに説明し、

トラックを路肩に止めてもらったまま、

俺達はキャンピングカーへと向かった。

「どういう事だよ…」

とカズヤ。

こっちが聞きたいくらいだった。

近づいて確認したが、

間違いなくあの変態一家のキャンピングカーだった。

周囲の明るさ・車の通過する音などで安心感はあり、

恐怖感よりも

「なぜ?」

と言う好奇心が勝っていた。

錆付いたドアを引き開け、

酷い匂いのする車内を覗き込む。

「オイオイオイオイ、リュック!!

俺らのリュックじゃねぇか!!」

カズヤが叫ぶ。

…確かに、

俺達が車内に置いて逃げて来た、

リュックが2つ置いてあった。

しかし、車体と同様に、

まるで何十年も放置されていたかの如く、

ボロボロに朽ち果てていた。

中身を確認すると、

服や日用雑貨品も同様に朽ち果てていた。

「どういう事だよ…」

もう1度カズヤが呟いた。

何が何だか、

もはや脳は正常な思考が出来なかった。

とにかく、

一時も早くこの忌まわしいキャンピングカーから離れたかった。

「行こう、行こう」

カズヤも怯えている。

車内を出ようとしたその時、

キャンピングカーの1番奥のドアの向こうで、

「ガタッ」

と音がした。

ドアは閉まっている。

開ける勇気はない。

俺達は恐怖で半ばパニックになっていたので、

そう聴こえたかどうかは、今となっては分からないし、

もしかしたら、猫の鳴き声だったかもしれない。

が、確かに。

その奥のドアの向こうで、

その時はそう聴こえたのだ。

「マーマ!!」

俺達は叫びながらトラックに駆け戻った。

するとなぜか、

ドライバーも顔が心なしか青ざめている風に見えた。

無言でトラックを発進させるドライバー。

「何かあったか?」

「何かありました?」

同時にドライバーと俺が声を発した。

ドライバーは苦笑し、

「いや…俺の見間違いかもしれないけどさ…

あの廃車…お前ら以外に誰もいなかったよな?

いや、居るわけないんだけどさ…

いや、やっぱ良いわ」

「気になります、言って下さいよ」

とカズヤ。

「いやさ…見えたような気がしたんだよ。

カウボーイハット?って言うのか?

日本で言ったら、ボーイスカウトが被るような。

それを被った人影が見えた気が…

でよ、何故かゾクッとしたその瞬間、

俺の耳元で口笛が聴こえてよ…」

「どんな感じの…口笛ですか?」

「曲名は分かんねぇけど、

こんな感じでよ(口笛を吹く)…

いやいやいや、何でもねぇんだよ!

俺も疲れてるのかね」

運転手は笑っていたが、

運転手が再現してみた口笛は、

ミッ○ーマ○スのマーチだった。

30分ほど、

無言のままトラックは走っていた。

そして市街も近くなったと言う事で、

最後にどうしても聞いておきたい事を、

俺はドライバーに聞いてみた。

「あの、最初に乗せてもらった国道の近くに、

山ありますよね?」

「あぁ、それが?」

「あそこで前に、

何か事件とかあったりしました?」

「事件…?

いやぁ聞かねぇなぁ…

山つっても、3つくらい連なってるからなぁ、あの辺は。

あ~でも、あの辺の山で大分昔に、

若い女が殺された事件があったとか…それくらいかぁ?

あとは、普通にイノシシの被害だな。

怖いぜ、野生のイノシシは」

「女が殺されたところって」

「トイレすか?」

カズヤが俺の言葉に食い気味に入ってきた。

「あぁ、確かそう。何で知ってる?」

市街まで送ってもらった運転手に礼を言い、

安心感からか、その日はホテルで爆睡した。

翌日~翌々日には、

俺達は新幹線を乗り継いで地元に帰っていた。

なるべく思い出したくない、

悪夢の様な出来事だったが、時々思い出してしまう。

あの一家は一体何だったのか?

実在の変態一家なのか?

幻なのか?

この世の者ではないのか?

あの山のトイレで確かに聞こえた、

女の子の泣き叫ぶ声は何だったのか?

ボロボロに朽ち果てたキャンピングカー、

同じように朽ちた俺達のリュックは、

一体何を意味するのか?

先日の合コンが上手く行った、

カズヤのテンションが上がっている。

たまに遊ぶ悪友の仲は今でも変わらない。

コイツの底抜けに明るい性格に、

あの悪夢の様な旅の出来事が、

いくらか気持ち的に助けられた気がする。

30にも手か届こうかとしている現在、

俺達は無事に就職も出来(大分前ではあるが)、

普通に暮らしている。

カズヤは、

未だにキャンピングカーを見ると駄目らしい。

俺はあのミッ○ーマ○スのマーチがトラウマになっている。

チャンララン チャンララン チャンラランララン チャンララン チャンララン チャンラランララン♪

先日の合コンの際も、

女性陣の中に1人この携帯着信音の子がおり、

心臓が縮み上がったモノだ。

今でもあの一家、

とくに大男の口笛が夢に出てくる事がある。

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