小中学の頃は田舎もんで世間知らずで、特に仲の良かったA、Bと3人で毎日バカやって、荒れた生活してたんだわ。
俺とAは家族にも見放されてたんだが、Bのところはお母さんが必ず構ってくれていた。あくまで厳しい態度でだけど、Bのためにいろいろと動いてくれていた。
中3のある時、BとBのお母さんがかなりきつい喧嘩になった。内容は言わなかったが、精神的にお母さんを痛め付けたらしい。
ズタボロに傷つけていたところに、親父が帰ってきた。
一目で状況を察した親父は、Bを無視して黙ったまんまお母さんに近づいていった。
服とか髪とかボロボロなうえに、死んだのような目で床を茫然と見つめているお母さんを見て、親父は話し始めた。
B父「お前、ここまで人を踏み躙れるような人間になっちまったんだな。母さんがどれだけお前を想ってるか、なんで分からないんだ」
親父はBを見ず、お母さんを抱き締めながら話していたそうだ。
B「うるせえよ。てめえは殺してやろうか?あ?」
Bは全く話を聞く気がなかったが、親父は何ら反応する様子もなく、淡々と話を続けたらしい。
B父「お前、自分には怖いものなんか何もないと、そう思ってるのか」
B「ねえな。あるなら見せてもらいてえもんだぜ」
親父は少し黙った後、話した。
B父「お前は俺の息子だ。母さんがお前をどれだけ心配してるかもよく分かってる。だがな、お前が母さんをこうやって踏み躙るなら、俺にも考えがある。先に言っておくが、俺がこれを話すのは、お前が死んでも構わないと覚悟した証拠だ。それでいいなら聞け」
その言葉に何か凄まじい気迫みたいなものを感じたらしいが、「いいから話してみろ」と煽った。
B父「森の中で、立入禁止になってる場所知ってるよな。あそこに入って奥へ進んでみろ。後は行けばわかる。そこで今みたいに暴れてみろよ。出来るもんならな」
Bの親父が言う森ってのは、近くにある小さい山のふもとにある場所。樹海みたいなもんかな。
山自体は普通に入れるし、森全体も普通なんだが、中に入っていくと途中で立入禁止になってる区域がある。
言ってみれば、四角の中に小さい円を書いて、その円の中は入るなってのと同じで、きわめて部分的。
2m近い高さの柵で囲まれ、柵には太い綱と有刺鉄線、それから柵全体には紙垂みたいな白い紙と大小いろんな大きさの鈴が無数についている。
変に部分的なせいで、柵の並びも歪。尋常じゃないの一言に尽きる。
たまに巫女さんが入り口に数人集まってるのを見かけるんだが、その日は付近一帯が立入禁止になるせいで、何をしてるのか謎だった。
いろんな噂が飛び交ってたが、「カルト教団の洗脳施設がある」というのが一番広まってた噂。そこまで行くのが面倒だから、奥まで行ったって話はほとんどなかったな。
Bの親父は返事を待たずに、お母さんを連れて2階に上がってった。
Bはそのまま家を出て、待ち合わせてた俺たちと合流した。
A「父親がそこまで言うなんて相当だな」
俺「噂じゃカルト教団のアジトだっけ。捕まって洗脳されちまえって事かね。怖いっちゃ怖いが、どうすんだ?行くのか?」
B「行くに決まってんだろ。どうせ親父のハッタリだ」
面白半分で俺とAも一緒に向かう事になった。
あれこれ道具を用意して、時間は夜中の1時過ぎぐらいだったかな。意気揚揚と現場に到着し、持ってきた懐中電灯で前を照らしながら森へ入っていった。
軽装でも進んでいけるような道だし、俺達はいつも地下足袋だったんで歩きやすかったが、問題の地点へは40分近くは歩かないといけない。
ところが、入って5分もしないうちにおかしな事になった。
森に入って歩きだしたのとほぼ同じタイミングで、何か音が遠くから聞こえ始めた。夜の静けさがやたらと音を強調している。最初に気付いたのはBだった。
B「おい、何か聞こえねぇか?」
Bの言葉で耳をすませてみると、落ち葉を引きずるカサカサという音と、枝がパキッ…パキッ…と折れる音が確かに聞こえた。
遠くから微かにしか聞こえないせいもあって、その時はそれほど恐怖を感じなかった。
なんかの動物だろうと思い、構わず進んでいった。
それから20分ぐらい進んできたところでまたBが何か気付き足を止めた。
B「A、お前だけちょっと歩いてみてくれ」
A「……? 何でだよ」
B「いいから早く」
Aが不思議そうに一人で前へ歩いていき、またこっちへ戻ってくる。
それを見て、Bは考え込むような表情になった。
A「おい、何なんだよ?」
俺「説明しろ!」
するとBは「静かにしてよ~く聞いててみ」と言い、一人で前へ歩いていき、またこっちに戻ってきた。
2,3度繰り返して、ようやく気付いた。
遠くから微かに聞こえてきている音は、俺達の動きに合わせていた。
俺達が歩きだせばその音も歩きだし、俺達が立ち止まると音も止まる。まるでこっちの様子がわかっているようだった。
周囲は真っ暗で、俺達は懐中電灯をつけてるんだから、位置がわかるのは不思議じゃない。
だけど、一緒に歩いていても互いの姿を確認するのに目を凝らさなきゃいけない暗さだ。そんな暗闇の中、明かりも付けず何をしている? なぜ俺達と同じように動いてるんだ?
B「ふざけんなよ。誰か俺達を尾けてやがんのか?」
A「近づかれてる気配はないよな。向こうはさっきからずっと同じぐらいの位置だし」
Aが言うように、森に入ってからここまでの20分ほど、その音との距離は一向に変わってなかった。
近づくわけでも遠ざかるわけでもない。ずっと同じ距離を保ったままだった。
俺「監視されてんのかな?」
A「そんな感じだよな。カルト教団とかなら、何か変な装置とか持ってそうだしよ」
音から察すると、一人がずっとくっついてるような感じだった。
しばらく足を止めて考え、下手に正体を探ろうとするのは危険と判断した。一応あたりを警戒しつつだが、そのまま先へ進む事にした。
それからずっと音に付きまとわれながら進んでたが、やっと柵が見えてくると、音なんかどうでもよくなった。
音以上に、その柵の様子の方が意味不明だったからだ。
3人とも見るのは初めてだったんだが、想像以上のものだった。同時に、それまでなかったある考えが頭に過ってしまった。
普段は霊などバカにしてる俺達から見ても、その先にあるのが、現実的なものでない事を示唆しているとしか思えない。――それも半端じゃなくやばいものが。
まさか、そういう意味でいわくつきの場所なのか?
森へ入ってから初めて、やばい場所にいるんじゃないかと思い始めた。
A「おい、これぶち破って奥行けってのか?誰が見ても普通じゃねえだろこれ!」
B「うるせえな、こんなんでビビってんじゃねえよ!」
柵の異常な様子に怯んでいた俺とAを怒鳴り、Bは持ってきた道具で柵を壊し始めた。破壊音よりも、鳴り響く無数の鈴の音が凄かった。
ここまでとは想像してなかったため、持参した道具じゃ貧弱すぎた。不自然なほどに頑丈だったんだ。特殊な素材でも使ってんのかってぐらい、びくともしなかった。
結局よじのぼるしかなかったんだが、綱のおかげで割と簡単だった。
柵を越えた途端、違和感を覚えた。閉塞感と言うのかな。檻に閉じ込められたような息苦しさを感じた。
AとBも同じだったみたいで、踏み出すのを躊躇したんだが、柵を越えてしまったからにはもう行くしかなかった。
先へ進もうと歩きだしてすぐ、3人とも気付いた。
ずっと付きまとってた音が、バッタリ聞こえなくなった事に。
正直、そんな事もはやどうでもいいとさえ思えるほど嫌な空気だったが、Aが放った言葉でさらに嫌な空気が増した。
A「もしかしてさ。そいつ、ずっとここにいたんじゃねえか? この柵、こっから見える分だけじゃ出入口みたいなのはないし。それで近付けなかったんじゃ」
B「んなわけねえだろ。俺達が音の動きに気付いた場所ですら、こっからじゃもう見えねえんだぞ? 入った時点から俺達の様子がわかるわけねえだろ」
普通に考えれば、Bが正しかった。禁止区域と森の入り口はかなり離れている。
時間にして40分ほどと言ったが、ちんたら歩いてたわけじゃないので、距離にしたらそれなりの数字になる。
だけど、「現実のものじゃないかも」という考えが過ってしまった事で、Aの言葉を否定できなかった。
柵を見てから絶対やばいと感じていた俺とAを尻目に、Bだけが強気だった。
B「霊だか何だか知らねえけどよ、お前の言うとおりなら、この柵から出られねえって事だろ?大したことねえよ」
そう言って奧へ進んでいった。
柵を越えてから2,30分歩き、うっすらと反対側の柵が見え始めたところで、不思議なものを見つけた。
6本の木に注連縄が張られ、さらに6本の縄で括り六角形の空間がつくられていた。柵にかかってるのとは違い、正式なものっぽい紙垂もかけられてた。
そして、その中央に賽銭箱みたいなのがポツンと置いてあった。
目にした瞬間は、3人とも言葉が出なかった。特に俺とAは、やばい事になってきたと焦っていた。
俺達でも注連縄が通常どんな場で何のために用いられてるものか、何となく知ってる。
ここを立入禁止にしているのは、間違いなく目の前のこの光景のためだ。とうとう、来るとこまで来てしまったわけだ。
俺「お前の親父が言ってたの、多分これの事だろ」
A「暴れるとか無理。明らかにやばいだろ」
だが、Bは強気な姿勢を崩さなかった。
B「別に悪いもんとは限らねえだろ。とりあえずあの箱見て見ようぜ!宝でも入ってっかもな」
Bは縄をくぐって六角形の中に入り、箱に近づいた。
俺とAは、箱よりもBが何をしでかすかが不安だったが、とりあえずBに続いた。野晒しで雨風にやられたせいか、サビだらけだった。
箱は、上部が網目の蓋になっていて中を見られそうだった。が、蓋の下にまた板が敷かれていて結局見えなかった。
さらに凄いのが書いてあった。家紋的な意味合いのものだと思うんだが、前後左右それぞれに、いくつも書き込まれている。1つも被っているものはなかった。
俺とAは極力触らないようにし、構わず触るBにも乱暴にはしないよう注意させながら箱を調べた。
どうやら地面に直接固定してあるらしく、大して重さは感じないのに持ち上がらなかった。中身をどうやって見るのかと隅々までチェックすると、後ろの面が外れるようになってるのに気付いた。
B「おっ、ここだけ外れるぞ!中見れるぜ!」
Bが箱の一面を取り外し、その後ろから中を覗き込んだ。
箱の中には、四隅にペットボトルのような形の、液体が入った壺が置かれていて、中央に先端が赤く塗られた5cmぐらいの楊枝みたいなのが、変な形で置かれてた。
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こんな形で6本。接する4ヶ所だけ赤く塗られている。
俺「なんだこれ?爪楊枝か?」
A「おい、ペットボトルみてえなやつの中に何か入ってるぜ。気持ちわりいな」
B「ここまで来てペットボトルと爪楊枝かよ。意味わかんねえ」
俺とAは、壺を少し触ってみたぐらいだったが、Bは手に取って匂いを嗅いだりした。元に戻すと、今度は/\/\>を触ろうと手を伸ばす。
汗をかいていたのか指先に一瞬くっつき、そのせいで離すときに形がずれてしまった。
その瞬間
チリンチリリン!!チリンチリン!!
俺達が来た方とは反対、六角形地点のさらに奧にうっすらと見えている柵の方から、物凄い勢いで鈴の音が鳴った。
さすがに3人とも声を上げて驚き、一斉に顔を見合わせた。
B「誰だちくしょう!ふざけんなよ!」
そう言って、その方向へ走りだした。
俺「バカ、そっち行くな!」
A「おいB!やばいって!」
慌てて後を追おうと身構えると、Bは突然立ち止まり、前方に懐中電灯を向けたまま動かなくなった。
「何だよ、フリかよ」
ホッとして急いで近付いてくと、Bが小刻みに震えだした。
「お、おい、どうした…?」
そう言いながら、無意識に照らされた先を見る。
Bの懐中電灯は、立ち並ぶ木々の中の一本、その根元のあたりを照らしていた。その陰から、女の顔がこちらを覗いていた。
ひょこっと顔半分だけ出して、眩しがる様子もなくこちらを眺めていた。
その顔は上下の歯をむき出しにするように、い~っと口を開いていく。
「うわぁぁぁぁぁ!!」
誰のものかわからない悲鳴と同時に、俺達は一斉に振り返り走った。
頭は真っ白で、体が勝手に最善の行動をとったような感じだった。
お互いに見合わす余裕もなく、それぞれが必死で柵へ向かった。柵が見えると一気に飛び掛かり、急いでよじのぼる。上まで来たら一気に飛び降り、すぐに入り口へ戻ろうとした。
混乱しているのか、Aが上手く柵を上れずなかなかこっちに来ない。
俺「A!早く!!」
B「おい!早くしろ!!」
Aを待ちながらどうすりゃいいか分からなかった。
俺「何だよあれ!?何なんだよ!?」
B「知らねえよ黙れ!!」
完全にパニック状態だった。
チリリン!!チリンチリン!!
凄まじい大音量で鈴の音が鳴り響き、柵が揺れだした。
何だ…!?どこからだ…!?
俺とBはパニックになりながら、周囲を確認した。
入り口とは逆、山へ向かう方角から鳴り響いている。音と柵の揺れはどんどん激しくなる。
俺「やばいやばい!」
B「まだかよ!早くしろ!!」
俺達の言葉が余計にAを混乱させていたのは分かっていたが、急かさずには居られなかった。Aは無我夢中に柵をよじのぼった。
Aがようやく上りきろうかというその時、俺とBの視線はそこになかった。別のところを見つめ、がたがたと震えている。体中から汗が噴き出し、声も出せなくなった。
その様子に気付いたAも、柵の上からその方向を見た。
山への方角にずらっと続く柵を伝った先、こっち側にあいつが張りついていた。
顔だけかと思ったそれは、上半身に右腕左腕がそれぞれ3本ずつあった。
器用に綱と有刺鉄線を掴んで、い~っと口を開けたまま、巣を渡る蜘蛛のようにこちらへ向かってきている。
「うわぁぁぁぁ!!」
Aがとっさに上から飛び降り、俺たちのところに倒れこんできた。それではっとして、すぐにAを起こし、一気に入り口へ走った。
後ろは見れない。前だけを見据え、必死に走った。全力で走れば30分もかからないだろうに、何時間も走ったような気分だった。
入り口が見えてくると、何やら人影も見えた。3人とも急停止し、息を呑んで人影を確認した。
誰だかわからないが、何人かが集まってる。あいつじゃない。そう確認できた途端に再び走りだし、その人達の中に飛び込んだ。
「おい! 出てきたぞ!」
「まさか、本当にあの柵の先に行ってたのか!?」
「おーい! 急いで奥さんに知らせろ!」
集まっていた人達はざわざわとした様子で駆け寄ってきた。
何て話しかけられたかすぐには分からないくらい頭が真っ白だった。
そのまま車に乗せられ、すでに3時をまわっていたにも関わらず、集会所に連れていかれた。
中に入ると、うちは母親と姉貴が、Aは親父、Bはお母さんが来ていた。
Bのお母さんはともかく、ろくに会話した事すらなかったうちの母親まで泣いてて、Aもこの時の親父の表情は、普段見た事ないようなもんだったらしい。
B母「みんな無事だったんだね…!よかった…!」
Bとは違い、俺は母親に殴られAも親父に殴られた。だが、今まで聞いた事ない暖かい言葉をかけられた。
しばらくそれぞれが家族と接したところで、Bのお母さんが話した。
B母「ごめんなさい。今回の事はうちの主人、ひいては私の責任です。本当に申し訳ありませんでした…!本当に…」
そう言って何度も頭を下げた。
よその家とはいえ、子供の前で親がそんな姿をさらしているのは、なんだか嫌な気分だった。
A父「もういいだろう奥さん。こうしてみんな無事だったんだから」
俺母「そうよ。あなたのせいじゃない」
この後、ほとんど親同士で話が進められ、ぽかんとしていた。
時間が遅かったのもあって、無事を確認しあって終わりって感じだった。この時は何の説明もなく解散した。
一夜明けた次の日の昼頃、姉貴に叩き起こされた。
目を覚ますと、昨夜の続きかというぐらい姉貴の表情が強ばっていた。
俺「なんだよ?」
姉貴「Bのお母さんから電話。やばい事になってるよ」
受話器を受け取り電話に出ると、凄い剣幕で叫んできた。
B母『Bが、Bがおかしいのよ!昨夜あそこで何したの!?柵の先へ行っただけじゃなかったの!?』
とても会話になるような雰囲気じゃなく、いったん電話を切ってBの家へ向かった。
同じ電話を受けたらしくAも来ていて、二人でBのお母さんに話を聞いた。
話によると、昨夜家に帰ってから、Bは急に両手両足が痛いと叫びだした。痛くて動かせないという事なのか、両手両足をぴんと伸ばした状態で倒れ、その体勢で痛い痛いとのたうちまわったらしい。
何とか対応しようとするも、「いてぇよぉ」と叫ぶばかりで意味が分からないとのこと。
必死で部屋までは運べたが、ずっとそれが続いてるので、俺達はどうなのかと思い電話してきたという事だった。
話を聞いてすぐBの部屋へ向かうと、階段からでも叫んでいるのが聞こえた。
「いてぇいてぇよぉ!」と繰り返している。
部屋に入ると、やはり手足はぴんと伸びたまま、のたうちまわっていた。
俺「おい!どうした!」
A「しっかりしろ!どうしたんだよ!」
呼び掛けても、「いてぇよぉ」と叫ぶだけで目線すら合わせない。
何が何だかさっぱりわからなかった。
一度お母さんのとこに戻ると、さっきとは打って変わって静かな口調で聞かれた。
B母「あそこで何をしたのか話してちょうだい。それで全部わかるの。昨夜あそこで何をしたの?」
あれをまた思い出さなきゃいけないのが苦痛となり、うまく伝えられなかった。というか、あれを見たっていうのが大部分を占めてしまってたせいで、何が原因かってのが、すっかり置いてきぼりになってしまっていた。
「何を見たかでなく何をしたか」と尋ねるBのお母さんは、それを指摘しているようだった。
Bのお母さんに言われ、何とか昨夜の事を思い出し原因を探った。
何をしたか? ほとんど同じ行動だったと思う。箱もペットボトルみたいなのもBだけでなく俺達も触わっている。
後は、楊枝……
それだ。あれにはBしか触ってないし、形もずらしてしまっている。しかも元に戻してない。
それを伝えると、Bのお母さんの表情はみるみる変わり震えだした。
すぐさま棚から紙を取り出し、どこかに電話をかけた。様子を見守るしかなかった。
しばらくどこかと電話で話した後、戻ってきたBのお母さんは震える声で言った。
B母「あちらに伺う形ならすぐにお会いしてくださるそうだから、今すぐ帰って用意しておいてちょうだい。あなた達のご両親には私から話しておくわ。何も言わなくても準備してくれると思うから。明後日またうちに来てちょうだい」
意味不明だった。誰に会いにどこへ行くって?説明を求めてもはぐらかされ、すぐに帰らされた。
一応2人とも真っすぐ家に帰ってみると、何を聞かれるでもなく「必ず行ってきなさい」とだけ言われた。
意味が全く分からないまま、2日後、3人である場所へ連れていかれた。Bは、前日にすでに連れていかれていたらしい。
ちょっと遠いぐらいだと思ってたが、町どころか県さえ違う。
新幹線で数時間かけて、さらに駅から車で数時間。絵に書いたような深い山奥の村まで連れていかれた。
その村のまた更に外れの方、ある屋敷に案内された。でかくて古いお屋敷で、離れや蔵なんかもあるすごい立派なもんだった。
Bのお母さんが呼び鈴を鳴らすと、おっさんと女の子が出迎えた。
おっさんの方は、その筋みたいなガラの悪い感じでスーツ姿。女の子は、俺達より少し年上ぐらいで、白装束に赤い袴。いわゆる巫女さんの姿だった。
おっさんは普通によくある名字を名乗っていた。巫女さんは上手く聞き取ることが出来なかったのだが『あおいかんじょ』とか名乗っていた。
名乗ると言っても、一般的な認識とは全く違うものらしい。よく分からないが、要するに彼女の家の素性は一切知る事が出来ないって事みたい。
実際俺達は、その家や彼女達について何も知らないけど、とりあえず彼女のことは『葵』と書くことにする。
だだっ広い座敷に案内され、訳も分からんまま、物々しい雰囲気で話が始まった。
伯父「息子さんは今安静にさせてますわ。この子らが一緒にいた子ですか?」
B母「はい。この三人であの場所へ行ったようなんです」
伯父「そうですか。君ら、わしらに話してもらえるか?どこに行った、何をした、何を見た、出来るだけ詳しくな」
突然話を振られて戸惑ったが、何とか詳しくその夜の出来事をおっさん達に話した。
楊枝のくだりで「コラ、今何つった?」と、いきなりドスの効いた声で言われ、ますます状況が飲み込めず混乱してしまった。
A「は、はい?」
伯父「おめぇら、まさかあれを動かしたんじゃねえだろうな!?」
身を乗り出し、今にも掴み掛かってきそうな勢いで怒鳴られた。すると葵がそれを制止し、蚊の泣くようなか細い声で話しだした。
葵「箱の中央…小さな棒のようなものが、ある形を表すように置かれていたはずです。それに触れましたか? 触れた事によって、少しでも形を変えてしまいましたか?」
俺「あの、動かしてしまいました。形もずれちゃってたと思います」
葵「形を変えてしまったのはどなたか、覚えてらっしゃいますか? 触ったかどうかではありません。形を変えたかどうかです」
俺とAは顔を見合わせ、Bだと告げた。おっさんは身を引いてため息をつき、Bのお母さんに言った。
伯父「お母さん、残念ですがね、息子さんはもうどうにもならんでしょう。わしは詳しく聞いてなかったが、あの症状なら他の原因も考えられる。あれを動かしてたとは思わなかったんでね」
B母「そんな……」
それ以上の言葉もあったんだろうが、Bのお母さんは言葉を飲み込んだような感じで、しばらく俯いてた。口には出せなかったが、俺達も同じ気持ちだった。
Bはもうどうにもならんってどういう意味だ? 一体何の話をしてんだ? そう問いたくても、声に出来なかった。
俺達の様子を見て、おっさんはため息混じりに話しだした。ここでようやく、俺達が見たものに関する話がされた。
俗称は『生離蛇螺/生離唾螺』
古くは『姦姦蛇螺/姦姦唾螺』
なりじゃら、なりだら、かんかんじゃら、かんかんだらなど、知っている人の年代や家柄によって、呼び方はいろいろあるらしい。
現在では、一番多い呼び方は単に『だら』。おっさん達みたいな特殊な家柄では、『かんかんだら』の呼び方が使われるらしい。
もはや神話や伝説に近い話。
人を食らう大蛇に悩まされていたある村の村人達は、神の子として様々な力を代々受け継いでいた巫女の家に退治を依頼した。
依頼を受けたその家は、特に力の強かった一人の巫女を大蛇討伐に向かわせる。
村人達が陰から見守る中、巫女は大蛇を退治すべく懸命に立ち向かった。しかし、わずかな隙をつかれ、大蛇に下半身を食われてしまった。
それでも巫女は村人達を守ろうと様々な術を使い、必死で立ち向かった。
ところが、下半身を失っては勝ち目がないと決め込んだ村人達はあろう事か、巫女を生け贄にする代わりに村の安全を保障してほしいと、大蛇に持ちかけた。
強い力を持つ巫女を疎ましく思っていた大蛇はそれを承諾。食べやすいようにと村人達に腕を切り落とさせ、達磨状態の巫女を食らった。
そうして、村人達は一時の平穏を得た。
後になって、巫女の家の者が思案した計画だった事が明かされる。この時の巫女の家族6人。
異変はすぐに起きた。
大蛇がある日から姿を見せなくなり、襲うものがいなくなったはずの村で、次々と人が死んでいった。
村の中で、山の中で、森の中で。死んだ者達はみな、右腕・左腕のどちらかが無くなっていた。
巫女の家族6人を含む18人が死亡。生き残ったのは4人だった。
伯父「これがいつからどこで伝わってたのかはわからんが、あの箱は一定の周期で場所を移して供養されてきた。その時々によって管理者は違う。
箱に家紋みたいのがあったろ?
ありゃ今まで供養の場所を提供してきた家々だ。うちみたいな家柄のもんでそれを審査する集まりがあってな、そこで決められてる。まれに自ら志願してくるバカもいるがな。
管理者以外にゃかんかんだらに関する話は一切知らされない。付近の住民には、いわくがあるって事と、万が一の時の相談先だけが管理者から伝えられる。
伝える際には相談役、つまりわしらみたいな家柄のもんが立ち合うから、それだけでいわくの意味を理解するわけだ。今の相談役はうちじゃねえが、至急って事で、昨日うちに連絡がまわってきた」
どうやら、一昨日Bのお母さんが電話していたのは別のとこらしく、話を聞いた先方はBを連れてこの家を訪ね、話し合った結果こっちに任せたらしい。
Bのお母さんは、俺達があそこに行っていた間にすでにそこに電話してて、ある程度詳細を聞かされていたようだ。
葵「基本的に、山もしくは森に移されます。御覧になられたと思いますが、6本の木と6本の縄は村人達を、6本の棒は巫女の家族を、四隅に置かれた壺は、生き残られた4人を表しています。そして、6本の棒が成している形こそが、巫女を表しているのです。
なぜこのような形式がとられるようになったか。箱自体に関しましても、いつからあのようなものだったか。私の家を含め、今現在では伝わっている以上の詳細を知る者はいないでしょう」
ただ、最も語られてる説としては、生き残った4人が、巫女の家で怨念を鎮めるためのありとあらゆる事柄を調べ、その結果生まれた独自の形式ではないかという事らしい。
柵に関しては、鈴だけが形式に従ったもので、綱とかはこの時の管理者によるものだったらしい。
伯父「うちの者で、かんかんだらを祓ったのは過去に何人かいるがな、その全員が2,3年以内に死んでんだ。ある日突然な。事を起こした当事者も、ほとんど助かってない。それだけ難しいんだよ」
ここまで話を聞いても、俺達は完全に置いてかれていた。きょとんとするしかなかった。
伯父「お母さん、どれだけやばいものかは何となくわかったでしょう。さっきも言いましたが、棒を動かしてさえいなければ何とかなりました。しかし、今回はだめでしょうな」
B母「お願いします。何とかしてやれないでしょうか。私の責任なんです。どうかお願いします」
Bのお母さんは引かなかった。一片たりともお母さんのせいだとは思えないのに、自分の責任にしてまで頭を下げ、必死で頼み続けてた。
でも泣きながらとかじゃなくて、何か覚悟したような表情だった。
伯父「何とかしてやりたいのはわしらも同じです。しかし、棒を動かしたうえであれを見ちまったんなら。お前らも見たんだろう。お前らが見たのが大蛇に食われたっつう巫女だ。下半身も見たろ? それであの形の意味がわかっただろ?」
「……え?」
言葉の意味がわからなかった。下半身? 上半身しか見ていない。
A「あの、下半身っていうのは? 上半身なら見ましたけど」
それを聞いておっさんと葵が驚いた。
伯父「おいおい何言ってんだ? お前らあの棒を動かしたんだろ? だったら下半身を見てるはずだ」
葵「あなた方の前に現われた彼女は、下半身がなかったのですか? では、腕は何本でしたか?」
俺「腕は6本でした。左右3本ずつです。でも、下半身はありませんでした」
急におっさんがまた身を乗り出し、俺達に詰め寄ってきた。
伯父「間違いねえのか?ほんとに下半身を見てねえんだな?」
俺「は、はい」
おっさんは再びBのお母さんに顔を向け、ニコッとして言った。
伯父「お母さん、何とかなるかもしれん」
おっさんの言葉に、Bのお母さんも俺達も、息を呑んで注目した。2人は言葉の意味を説明してくれた。
葵「巫女の怨念を浴びてしまう行動は、2つあります。ひとつは、巫女を表すあの形を変えてしまう事。もうひとつは、その形が表している巫女の姿を見てしまうことです」
伯父「実際には、棒を動かした時点で終わりだ。必然的に巫女の姿を見ちまう事になるからな。だが、どういうわけかお前らは、それを見てない。
動かした本人以外も同じ姿で見えるはずだから、お前らが見てないならあの子も見てないだろう」
俺「見てないっていうのはどういう意味なんですか?俺達が見たのは……」
葵「巫女本人である事には変わりありません。ですが、かんかんだらではないのです。あなた方の命を奪う意志がなかったのでしょうね。
かんかんだらではなく、巫女として現われた。その夜の事は、彼女にとってはお遊戯だったのでしょう」
巫女とかんかんだらは同一の存在であり、別々の存在でもあるという事らしい。
伯父「かんかんだらが出てきてないなら、今あの子を襲ってるのは、葵が言うようにお遊び程度のもんだろうな。わしらに任せてもらえれば、長期間にはなるが何とかしてやれるだろう」
緊迫した空気が初めて和らいだ気がした。
Bが助かると分かっただけで充分だったし、この時のBのお母さんの表情は本当に凄かった。
この何日かでどれだけBを心配していたか、その不安とかが一気にほぐれたような、そういう笑顔だった。
それを見ておっさんと葵も雰囲気が和らぎ、急に普通の人みたいになった。
伯父「あの子は正式にわしらで引き受けますわ。お母さんには後で説明させてもらいます。お前ら2人は、一応葵に祓ってもらってから帰れ。今後は怖いもの知らずもほどほどにしとけよ」
この後Bに関して少し話したのち、Bのお母さんは残り、俺達はお祓いしてもらってから帰った。
この家の決まりだそうで、Bには会わせてもらえず、どんな事をしたのかもわからなかった。
転校扱いだったのか在籍してたのかは知らんが、これ以来一度も見てない。まあ、死んだとか言うことはなく、すっかり更正して今はちゃんとどこかで生活してるそうだ。
ちなみにBの親父は、一連の騒動に一度たりとも顔を出してこなかった。どういうつもりか知らんが。
俺とAも、割とすぐ落ち着いた。
理由はいろいろあったが、一番大きかったのは、やっぱりBのお母さんの姿だった。ちょっとした後日談もあって、たぶん一番大変だったはずだ。
母親ってのがどんなもんか、考えさせられた気がした。それにこれ以来うちもAんとこも、親の方から少しづつ接してくれるようになった。そういうのもあって、自然とバカはやらなくなったな。
一応他にわかった事としては、特定の日に集まってた巫女さんは、相談役になった家の人。
かんかんだらは、危険だと重々認識されていながら、ある種の神に似た存在にされてる。大蛇が山だか森だかの神だったらしい。それで年に一回、神楽を舞ったり祝詞を奏上したりするんだと。
あと、俺達が森に入ってから音が聞こえてたのは、かんかんだらは柵の中で放し飼いみたいになってるかららしい。
でも六角形と箱のあれが封印みたいになってるらしく、棒の形や六角形を崩したりしなければ、姿を見せる事はほとんどないそうだ。
供養場所は、何らかの法則によって、山や森の中の限定された一部分が指定されるらしく、入念に細かい数字まで出して範囲を決めるらしい。
基本的にその区域からは出られないらしいが、柵などで囲んでる場合は、俺達が見たみたいに外側に張りついてくる事もある。
分かったのはこれぐらい。あの場所からはもう移されたっぽい。
二度と行きたくないから確かめてないけど、一年近く経ってから柵の撤去が始まったから、今は別の場所にいるんだろな。