2020年に映画『犬鳴村』が公開されましたが、ベースとなった犬鳴村伝説は、実際に福岡で噂になっているものであることをご存知でしょうか。
旧犬鳴トンネルは日本屈指の心霊スポットとしても知られており、幽霊を見たとか、事故がよく起こるなど、黒い噂の絶えない超怖いところです。
今回は、そんな犬鳴村伝説について解説していきます。
犬鳴村は福岡で言い伝えられている都市伝説
犬鳴村は、福岡県に実在する旧犬鳴トンネルの先にあるとされる地図にない村です。
村の入り口には『この先、日本国憲法つうじません』と書かれた立て看板があるのだとか……。
看板の警告を無視して先に進むと、犬鳴村につながります。
犬鳴村の住人は独自の文化が形成されており、使用している言語も日本語とは異なると言われています。
加えて、村内には無数に罠が仕掛けられており、もし罠にかかってしまえば、斧を持った村人に惨殺されてしまうのだと言います。
かつて村に侵入したカップルが村人に惨殺され、彼らの乗ってきた白のセダンが打ち捨てられて残っているのだそう……
旧犬鳴トンネルおよび犬鳴村での体験談
犬鳴村の入り口である旧犬鳴トンネルは、最恐心霊スポットと言われているだけあり、さまざまな人が心霊体験をしたと述べています。
犬鳴村伝説の始まり
旧犬鳴トンネルは1975年から新道とトンネルが開通したことにより、使われることは無くなりました。
そして、使われなくなったトンネルの運命として、心霊スポットとして囁かれるようになります。
近くのダムで強姦事件が起きたことも噂の広がりを後押ししたと思われます。
この時点では、まだ全国に数ある心霊スポットのひとつに過ぎなかったのです。
しかし、1988年、犬鳴村伝説が生まれる特異点とも言える事件が起こってしまいます。
それが、不良グループからリンチを受けた20歳の男性が頭からガソリンをかけられて隠滅を図られるというもの。
翌日遺体は発見され、不良グループも殺人・監禁の容疑で逮捕されました。
事件の経緯はこうです。
俺は上村健太、20歳。近くの町で工員をしている。
まさかあんなことが目に遭うとも知らず、帰宅のため車を走らせていた。
ドンドン
信号待ちのため、車を一時停止させていると、窓を乱暴に叩く音がした。内心なんだとイラつきながらそちらを見ると、見知った顔がそこにあった。
「なんだ、杉田たちやないか。どうしたんと」
「女送るのに格好つかんたい。車貸せ」
杉田は知り合いの男なのだが、普段から素行が悪いやつだった。そんなやつに車を貸そうものなら、無事に車を返してもらえるわけがない。
そのため、俺は当然拒否した。
「お前自分の車持っとるやろ。それ使えや」
「車っつったってトラックやんけ」
どうもトラックでは女性とのデートには見栄えが悪いから、俺の車を貸せということのようだ。
「そうは言ってもな。俺も今帰る途中なんよ。だから貸せんばい」
「は? お前、俺らの言うこと聞けねーっての? おい、こいつに立場わからせてやろうぜ」
そう言うと、杉田とその仲間たちは俺を車から引き摺り下ろし、レンチやらクランチやらで殴り始めた。
「や、やめろ! お前らこんなことして、ただじゃおかんぞ!」
「お前が大人しく車寄越してれば、こんな目に遭わずに済んどったったい」
「くそっ」
「おい! 待て!!!」
俺はボロボロの体を引きずりながら逃げ出した。車……車にさえ辿り着ければ、逃げ切れるはず。
「ぐはっ」
杉田の飛び蹴りが背中に突き刺さった。
「上村ぁ、なんでこんなことになったんだろうなぁ?」
「お、おい、杉田。流石にやべえって。もうやめようぜ?」
「おいおい、何言ってんだ。ここまで来たらお前も共犯ばい」
「す……すぎ、た……な、にを……」
「誰が説明してやるかよ。おい、今井、お前運転しろ。旧犬鳴トンネルまで行くぞ。あそこなら人通りは少ねえ」
それから体感では何時間も経った気がする。車の中でも奴らの暴行は続いていた。
そして、ようやくトンネルへと到着した。
「た、助けてくれ!!!! 誰か!!!!」
「おい、こいつの口を塞げ」
杉田の命令で、口に服を詰められた。これではもう呻き声を上げることしかできない。
手足も縛られた。何度も殴って蹴っての暴行を受け、もはや反抗する気力も無くしていた。
「あれ持ってこい」
そう命令し持ってこられたのは、ガソリンだった。
頭から被せられたが、俺はライターをチラつかせる杉田を睨む気力すら残っていなかった。
その後、地元の居酒屋では「たった今人ば焼き殺してきた」と豪語する若者の姿があった。
※ このストーリーは事件の概要をもとに作成したフィクションです。実在の人物とは関係がありません。
犬鳴エリアでの事件・事故
元々心霊スポットとして知られていた旧犬鳴トンネルでしたが、1988年の事件の影響は大きかったようです。
それまで福岡県でのみ知られているローカルな心霊スポットだったのが、全国的に知られるようになり、最恐と認識されるようになりました。
そしてさらに追い討ちをかけるように同エリアにて事件・事故が起こってしまいます。
1992年に起きた自動車事故
1992年、犬鳴峠に肝試しに来た若者10名が、帰り道に事故を起こしてしまいます。
原因はブレーキが何故かきかなかったこと。誘われるように電柱へと衝突してしまいます。
運転手は意識不明、その他も重軽傷を負いました。
捜査では居眠り運転だろうとなりましたが、原因不明のブレーキの故障から、犬鳴トンネルの祟りが原因ではないか、という噂が立ちました。
2001年に起きた自動車事故
2001年、旧犬鳴トンネルに佐賀から肝試しにきた若者5人が、これもまた帰り道に交通事故に遭います。
バイパスでトラックと正面衝突を起こし、4人は死亡、1人は重傷を負ってしまいました。
すでに犬鳴トンネルの知名度は大きく広がっていましたが、さらに犬鳴トンネルに曰くが付く結果となりました。
『この先、日本国憲法つうじません』の大元
犬鳴村伝説といえば、『この先、日本国憲法つうじません』という立て看板があるという噂が非常に有名です。
この噂が形成された経緯について説明していきましょう。
1988年の事件をきっかけに全国的に知られるようになった旧犬鳴トンネルは、日本全国から肝試しにくる若者で溢れていました。
そして、そのような若者はたいていマナーがなっていないもので、ポイ捨てや落書きが非常に多かったのです。
ゴミの不法投棄、イタズラ用のマネキンの設置、畑を荒らす、暴走族の集会など、近隣住人は非常に迷惑していました。
そこで、監視カメラ作動中や警察に通報しますと言った文言の看板を設置したり、強い言葉で迷惑行為を警告する看板を手書きした人もいたそうです。
もしかしたら気づいている方もいるかもしれませんが、これが『この先、日本国憲法つうじません』の噂の大元となってしまったのです。
肝試しに来た若者や、不良に対して強い言葉で追い払う住人もいたはずです。中には農具を片手に威嚇する人もいたのではないでしょうか。
それを目にした若者や不良たちは、実際には地元の住人であることを知りながら、犬鳴村の伝説を吹聴してまわったと考えられます。
皮肉なことに、地元を守ろうという住人たちの思いが、逆に伝説を形成する助けとなってしまったのです。
インターネット普及期
2000年代前後からインターネットは大きく進歩しました。
日本最大のネット掲示板2ちゃんねるが出来たのもこの頃です。
2ちゃんねるでは、多くの人々がお互いにネタであることを了解して日夜伝説がでっち上げられています。
すでに最恐心霊スポットの称号を得ており、犬鳴村などという伝説が存在していた犬鳴峠は2ちゃんねらーのちょうどいいオモチャだったのです。
加えて、フジテレビの番組、奇跡体験!アンビリーバボーで特集が組まれたことも大きいでしょう。
ブログをやっていると実感しますが、テレビの影響は今でも大きいです。
もしテレビで犬鳴村伝説特集なんて組まれようものなら、多くの人が検索します。
そして、検索した人が見るのは、当時情報が少ないネットですから、2ちゃんねるも当然情報源となるでしょう。
2ちゃんねらーたちがオモチャにしてでっち上げられた犬鳴村伝説を見てしまった人々は、それを信じ込んでしまうのです。
まとめ
映画『犬鳴村』の元ネタとなった犬鳴村伝説は、実際に福岡で言い伝えられている都市伝説でした。
残念ながら犬鳴村は実在しませんが、旧犬鳴トンネルや犬鳴ダムは実在する心霊スポットです。
しかし、旧犬鳴トンネルは立ち入りが禁止されていますので、決して立ち入らないようにしてください。
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