自分と他者は違う存在でしょうか。「違う」と即答したくなりますが、グッと堪えてもう一度考えてみてください。
「自分は何をもって自分なのか」「自分と他者を区別するものは何か」と。
偉人の中には、この難題に挑んだ者がいます。今回は、その中の1人、ドナルド・デイヴィッドソンが考案した思考実験「スワンプマン」を紹介します。
スワンプマンを通して、ゾッとする感覚を味わってください。考えれば考えるほど、その怖さと魅力を感じることが出来ます。
この記事はこんな人におすすめです
- ゾクゾクとする怖い話が好きな人
- じっくり考えるのが好きな人
- スワンプマンが何か知りたい人
スワンプマンとは
さっそくなんですが、スワンプマンってなんですか?
スワンプマンは、アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンによって提唱された思考実験です。
アイデンティティを問う実験で、自分の中の同一であることの概念が疑わしくなります。
私はこの話を聞いたとき、背筋がゾクゾクとしたのを覚えています。なんとも言えない気味の悪さを感じましたね。
なるほど。スワンプマンは、自己同一性の考察をするための題材として考案されたものというわけですね。
……。やけに理解がはやいね?
まあいいか。次は、スワンプマンの設定とストーリーを確認しよう。
スワンプマンのあらすじ
ひとりの男が暗い夜道を歩いている。傘を忘れたのか、雨に打たれながら家へ帰っている。男は、ふらりと公園の中へ入っていった。公園の中を通ると、少し近道を出来るからだ。
そのときだった。空が割れるような音がなりひびき、視界は白く染まった。
酷いめまいを覚え、立っていられなかった。
しばらくして男は立ち上がり、自分の体の状態を確かめた。
服が雨に濡れ、ズボンの裾に少し泥がついている他におかしなところはなかった。
さっきのは一体なんだったのだろうか、そんなことを考えながら男は再び家に向かって歩き始めた。
その頃ちょうど雨もやみ月が男を照らし、立ち去る男を見送るように、泥の山が崩れた。
「空が割れるような音がなりひびき、視界は白く染まった」という一文。
このとき、男は雷に打たれています。しかし、男はめまいだけで済み無事なようです。
雷に打たれたあと、普通に歩いて帰宅を再開しています。おそらく、この後はいつもの日常に戻ったのではないでしょうか。
これだけであれば、雷に打たれたが奇跡的に何事もなく生還した男の話です。……それでも、なぜ雷に打たれて無事なのかと思うと不気味ですが。
スワンプマンの話の中で何が起こっていたのか
原作では、沼でこれが起きています。だから、スワンプマン(沼男)なのです。
雷に打たれた瞬間に男の体は焦げ落ち絶命。泥が化学反応を起こして、男の体を再構築します。
雷に打たれたあとの、泥の体になった男をスワンプマンと呼ぶことにしましょう。
- スワンプマンは、雷に打たれる前と全く同じ記憶、外見、趣味・嗜好、性格を持ちます。
- 男とスワンプマンは、全く同じ遺伝子を持ちますし、原子のひとつまで見ても全く同一です。
- スワンプマン自身も、自分がスワンプマンであることを認識していません。
- さらに、男が雷に打たれたところを目撃した人も、全くいません。
ここからひとつの疑問が生まれます。
雷に打たれる前の男と、スワンプマンは同一人物なのでしょうか?
同一であるとすると、何を根拠に同一であると示すのか。逆に、同一でないとするなら、その根拠は何か。
このように問われると、非常に難しいと思います。
次に、同一であるとする説、別人であるとする説の両方を紹介します。
まずは、同一であるとする説です。
- 見分けがつかないから説
- 外部から見分けがつかないことは、同一であることの根拠となるでしょうか。もし、外見が一致することが同一であることの根拠であるとするならば、
- 髪型を変えること
- 成長して体が大きくなったり顔つきが変わること
- 整形
- 化粧
- 同じ記憶を持っているから説
男とスワンプマンが同じ記憶を持っていることを同一性の根拠とすると、とある問題が生じます。
記憶喪失になった瞬間に、別人になったことになるのでしょうか?
もし、記憶喪失になった瞬間に別人になるとするならば、記憶喪失になった人は「自分は何者か」と苦悩することはありませんし、周囲の人も当人の記憶が戻るように頑張ることもありません。最終的に、別人として生きる道を選んだとしても、記憶喪失になった瞬間に別人になるとは言い難いのではないでしょうか。- 遺伝子が同一だから説
- 男とスワンプマンは、遺伝子どころか原子レベルで同一です。体の中の原子は簡単に入れ替わるので、これを根拠にするのは難しいでしょう。そして、遺伝子を根拠にするとなると、これらも自分と同じであると認める必要があります。
- 切りおとした爪や髪
- クローン
- 一卵性双生児の兄弟
はたして、切り落とした爪や髪を自分自身であるとみなせる人は何人いるのでしょうか。”多くの人は自分とは切り離して見ている” はずです。だからこそ、簡単に爪も髪も切りますし、切り落としたそれらを廃棄できるのだと思います。
また、クローンについても同様です。自分のクローンが目の前に突然あらわれたとして、そのクローンを自分自身だと思うでしょうか。
一卵性双生児については、近年、遺伝情報は同一でないという説も出てきていますが、同一であると考えられていた時期があることも間違いありません。では、その時期は、一卵性双生児の兄弟は、同じ人がふたりいると考えられていたのでしょうか。
このように考えると、遺伝子が同一であることは、個体が同一であることを100%説明してくれるわけではないようです。
一方で、同一でないとする根拠はこのようなものがあります。
- 意識の違い説
男の視点では、雷に打たれたという意識があるはずです。一方スワンプマンの視点では、雷に打たれたけどなんか生きてたという認識です。男とスワンプマンで意識のズレがあるので、同一でないとする説です。
しかし、この説には穴があると思います。
スワンプマンについては実際に話を聞けば良いですが、男がどう認識しているかはどのように確かめるのでしょうか? それを確認する術がない限り、この説を支持できません。- 時間の連続性から説明する
男は雷に打たれてしいました。そして、その後に体が泥で再構築されてスワンプマンが誕生します。男の時間は雷に打たれた瞬間に終了し、それを境にスワンプマンの時間が始まりました。
どんなに男とスワンプマンが同一であるもっともらしい理由があったとしても、男とスワンプマンの間に連続性がない時点で別の個体であるとする説です。
確かにこの説はもっともそうな気がします。事実、スワンプマンの考案者もこの考えを支持しているようです。
投稿者のスワンプマンの解釈
スワンプマン、あなたはどう感じたでしょうか? みなさんそれぞれで思うところがあったと思います。
ここで、筆者の考えをひとつ述べたいと思います。私自身は、意識の違い説に近い考えをしています。
そもそも、男とスワンプマンには同一人物である側面と、別人である側面の両面があるのではないでしょうか。
そう考える根拠は、人間はひとりで生きているわけではないということです。
これは、食料をひとりで確保するのは難しいとか、ひとりでは十分に現代的な生活を維持できないとか、そういった相互扶助的視点で述べているわけではありません。
私という存在は、自分の中の私、家族の中の私、友人の中の私、こういった複数の人物の中に存在する私すべてによって支えられているのではないかと思います。孤独が辛いのは、自分の存在を支えるものが自分の中の私しかないからではないでしょうか。
スワンプマンのことを、男と同一だと考える人も入れば、別人だと考える人もいる。それら全てがスワンプマンを構成しているので、両方の側面があると考えるべきではないでしょうか。
その観点でいえば、スワンプマンが男と別人であると疑う人が全くいない時点では、スワンプマンは存在しないのです。逆に、スワンプマンが男と別人であると疑う人が発生した瞬間にスワンプマンが誕生し、スワンプマンが男と同一であるという事実が揺らぎ始めるのです。
そのように考えると、その人がスワンプマンであって男ではないと思う人が発生した瞬間が、男とスワンプマンが分離する瞬間なのではないでしょうか。
もっとも、雷に打たれた男は、そいつは俺じゃないとずっと叫んでいるのかもしれませんが……
もしそうであれば、雷に打たれた瞬間からスワンプマンと男は分離していることになりますが、男の叫びをどのような方法で受け取れば良いのでしょうかね。
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